6.06.2007

書きたい事、思う事はある。
ただ、どう書いて良いのか、どこまで書いて良いのか、迷う事がある。
なら、書かなければ良いだけの事なのかもしれないけれど、書きたい気持ちはそれなりに強い。
書こうと思って書き始めて、下書きで保存したままになった記事や、「やっぱりやめよう」と思って書き終える前に消してしまった記事が、数え切れないぐらいある。
そういった、誰にも見せない部分こそ、自分の本音なのかもしれないなと、少し思ったけれど、削除した記事でもどこか遠慮して書いているのも事実で、結局本音なんか出てきてやしないんだなと、そういう結論になった。
誰が見るか解らない場に、心からの本音なんか出せやしないんだ。
という事を、知らず知らずのうちに、どこかで意識していたのかもしれない。
そうすると、結局、ネガティブな本音の部分は隠し続けなければならなくて、吐き出す場所はここではなくて、その場所はもちろん他人に話す事でもなくて、やっぱり、創作の中に誤魔化しながら織り交ぜていくしか、集団の中で生きていく限りでは、誰にも迷惑をかけずに発散する方法は、他にないと思ってしまった。
そして、結びつく先は、文章、絵、音楽と、どれも苦手な「芸術」と呼ばれる世界であったりするのかな。
どうも、こういった内容の事を考えると、思い出してしまう言葉がある。
それは、実は単純で、知りうる限りでは、最も正攻法に近い解決策なんだとは思うけれど、実際にそうする事が出来るのかはわからないし、意識してそうしてみても、出来ているのか出来ていないのかイマイチわからない。
まぁ、どうでもいいか・・・。

6.05.2007

師匠の師匠が亡くなって、ニュースで俳優が亡くなったのを知って、ふと、考えた。
ミュージシャンは歌が残る。
俳優は映画やドラマが残る。
今はDVDやCDがあるから、過去の映像を見ることが出来たり、声が聞けたりする。
芸人が死んだら、どうなんだろうとね。

というのも、ちょっと前に、困った事があったんですよ。
まだ死んではいないけれど、引退してしまった上岡龍太郎のトークが聞きたくて、困ったんですよ。
司会が多かったし、トーク番組ではパペポ以外ではあまり見かけなかったから、過去の映像とか番組って、見れないんですよ。
そのパペポは、諸事情でDVD化できないらしいので、割と絶望的なんですね。
そして、バラエティ番組やトーク番組っていうのは、なかなかDVD化されないし、バラエティ番組でDVD化されるのは、コントが多かったりするので、実は映像を入手するのが難しいわけ。
ラジオなんかは、それこそ入手不可能だしね。
落語家は、比較的「作品」として(主にテープだけど)残ってる事が多いから、まだいいんだけど、トークが上手い芸人の映像っていうのは、本当に貴重なんだなと、改めて思った。
芸人の「心の師匠」は山ほどいるので、その人たちが生きているうちに、少しでも吸収できればいいなぁと、思ったわけです。

まぁ、色々書いたところで、生きてるうちに何をどれだけ吸収できるかが問題なんだよね。
師匠の生死がどうとかは、実はあまり関係なくて、良い手本にどれだけ出会えるか、どれだけ見つけられるかが、決め手になってくるような、そんな気もしないでもない。
なんかもう、だからなんだっつー話だな・・・。